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木曜日, 5月 25, 2006

バッハ様というより

ハープシコードが大活躍していた時代の曲がタッピングには合うんだろうな。
俺もタッピング楽器欲しいなー。
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火曜日, 5月 23, 2006

本日のノックアウト

多分クラブでの演奏なんだろうけど、ヘッド裏側からの照明も美しく、ノックアウト。
素早く正確に余裕を持って。
俺も自分の楽器練習せな。

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月曜日, 5月 15, 2006

back to the basic


阪口新著/サクォフォーン教則本を再購入した。
本当にベーシック中のベーシックからやるための教本である。しかし、今これをやりなおしてみると、自分の演奏の不味いところや退化したところに否応無く気づかされる。
例えば、一番最初の練習曲。全音符でゆっくり「ソ」を六小節吹く。全ての小節の終わりにブレスをする。これをテンポ40bpmでメトロノームに合わせてやってみる。一小節六秒。音の出だしとブレスで切るタイミングを正確に、音量音程を一定にキープするように努めるが、思った以上に下手糞な演奏になる。
六小節というのも曲者だ。音楽的に不安定な長さなので緊張を保ち易い。西洋音楽に慣れ切った体は自然に四の倍数で落ち着こうとする。
自分の下手さ加減というのは実践的な練習以外に、このような作業無しには克服できないと感じている。
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木曜日, 5月 11, 2006

D/Aコンバータ 浅草第二弾

浅草のバー、銀幕ロックにての二度目のライブ。
前回第一回は店長富村君とのコネだけで出演させてもらったにもかかわらず、常連客の皆さんにも喜んで頂いたようで幸いだった。そして近いうちにまた、という運びで今回のライブ。
今回も早めに店に入れてもらい、オーナーのダイナマイト和尚さんとお会いすることができた。芸名から連想される爆発物より、むしろ鋭い刃物という印象。それでいて気さくに話が出来るお人柄。シャープではあるが無駄に危険物であろうとするなんてことは全く無い雰囲気。邪魔をしないようにお店の準備をしているのを眺めながら待っていると今日の相棒高岡君の登場。今日のステージの打ち合わせ、などはせずに世間話や通信機器の話。PAのチューニングだけは和尚さんときっちりやる。
お客さんが来ない。開演予定時間になってもかなり少ない。というわけで人が集まるのを待って一時間押しで開始。前回より告知はしたし、それなりにお客さん来るかなと思っていたが、連休明けの雨とくれば仕方ない。連休中は毎日大勢飲みにきてお店は大忙しだったそうだ。まっとうな社会人なら長い休みの直後に忙しくなるなんて考えるまでもなく当たり前な、珍しい事でもなんでもない。そんな事すら忘れてる我々乞食生活者。
今回は休憩中に「音がうるさい(そんなわけないんだけどね)」との苦情でお巡りさんが来たり。防弾チョッキを着た警官が非常に下手に出て丁寧に「苦情内容」などを話してくれる。浅草らしいといえば浅草らしい風景。まあ、近所の仁義があったりなかったりするお方が関わるワケあり「通報」らしい。
てなわけで2ステージ目は客席に座って完全アコースティック弱音演奏。これはこれで良かった。アクシデントは避けたり防いだりするだけじゃなくて利用したりもするもんです。
今回は集客イマイチだったわけだが、それでもリピーターあり、飛び込みのお客さんも喜んでくれたりでまたもや収穫アリの銀幕ロックであった。
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金曜日, 5月 05, 2006

朝バッハ

僕は無宗教な人間なのだが、今年に入ってからほぼ毎日続いている朝の儀式がある。自分ではそれを心の中で「朝バッハ」と呼んでいるのだが、その名のとおり朝一番に J.S.バッハの曲を弾くというもの。
ウチにはピアノが無いし、鍵盤と音源モジュールとMIDIインターフェイスとミキサーとアンプを立ち上げて・・・というのは面倒なのでクラシックギターでやっている。鍵盤よりギターのほうが得意だし。バッハの曲は鍵盤で弾くのが筋かもしれないが、まあ仕方が無い。
起床し、血の巡りがある程度良くなったらまずギターを手にする。音叉で調弦をし指慣らしもせずに(本当は良くないのだが)とにかく最初にバッハの曲を弾くのだ。弾く曲は決まっていて無伴奏チェロ組曲第一番プレリュードト長調。音域の問題でニ長調に変えてあるが、適度に弾きやすく、アッパー過ぎずダウナー過ぎず私の朝には相応しい。そのうち他の曲も弾けるようにしようと思っているのだが、今弾けるバッハの曲はこれしかないという事情もある。別の曲を練習する前にもっと今の曲を弾きこなしてからとも思うし。ギターの上達が目的ではないし。
ところでこの「プレリュード」、我が家にギター用の楽譜は存在しない。サックス用のものならあるが、これはやはり楽器に合わせて移調してあり変ホ長調。それを EWI の練習用に原曲のト長調に直して吹いていた。非クラシック演奏家の(悪い?)癖で記憶だけを頼りにギター用に自分で編曲した。したがってチェロ用の譜面はおろか、ギター用すら持っていない。時々ソプラノサックスでも吹いてみるが、音域の都合で変ホ長調。これは清水靖明版のテナーサックス用と同じ運指なのだが、音域が違いすぎて妙な具合になる。ごくたまにエレキベースで弾いてみることもあるが、これなら原曲と同じ音域、同じキーで弾ける。というわけで私の頭の中には様々な調、音域のプレリュードが混在しているのだが、絶対音感の無さの恩恵であまり気にならない。
とにかく、この朝の儀式を始めてから無駄な一日を過ごしてしまうことが少なくなったような気がする。要は気持ちの問題で、床に就くときにある程度の満足感を持って寝られるというのが重要なのだ。気を抜くと単なる無用な人間になってしまう自分に音楽人としてのスイッチが入るのだ。
多分昔の日本人の朝もこんなものだったのだろうと想像する。私の祖母の家もそうなのだが、仏壇と神棚両方が奉ってある。毎朝水を換えご飯を換え線香をあげ祈る。日本人の曖昧な宗教的態度は褒められたり貶されたりするが、日常を円滑に運ぶためにはとても良い事だと実感している。余談だが、祖母の儀式は徹底していて、神棚仏壇の他にラジオ体操と掃除も加わる。善き人間、善き小市民としての生活がそこにある。
ところで、というか、実は、というか、この「朝バッハ」には手本がある。バッハは自分にとっての聖人の一人だが、他の多くの聖人の一人、パブロ・カザルスの真似なのだ。
カザルスの自伝のような本に書いてあった。彼は晩年の生活において、朝起きると海に向かった窓を開け放ち部屋の空気を入れ替え、ピアノでバッハの曲を弾いて家を清めるのが日課だったそうだ。こんな気持ちの良さそうなことは真似したほうが良い。別の聖人の真似をして死体になって川に浮くつもりはもちろん無いが。彼も凄く凄く大好きだけど。

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